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2012年10月19日金曜日

ウィキペディアの記述を正すの記

Wikipediaの「安部公房」に東大医学部の「卒業口答試験では人間の妊娠月数を二年です、と答えるなどひどいものだった」との記述があり、その根拠として養老孟司が「本人から直接聞いている」とその書かれた著書を揚げています。

この記述は「ウィキペディアに書いてあった」という権威づけと養老孟司という権威づけのもと、事実ととらえられて2chの安部公房トピやtwitterでもよく揶揄される事態が長らく続きました。「安部公房ってそんな常識的なことも知らなかったんだ。」と、それは半ば優越感をくすぐられて、そのゆえになおさら、人口に膾炙して広がりました。

私はまず、東大医学部の卒業試問でそんな簡単な問題が出るのか、疑問を抱いていました。また安部公房が養老孟司氏にそう言ったとしても、ジョークの部類では、とも思っていました。そのうち、この件について大江健三郎氏からの有力な情報があり、掲示板でそれを発表したことがあります。今回、ながらく懸案だったWikiの記述をやっと訂正することができましたが、その間の事情をここに書いておきます。

まず元の記述の根拠になっている養老孟司氏の『小説を読みながら考えた』(2007/04双葉社)の該当箇所を見てみました。そこには
「この卒業試験は伝説になって残っている。」と始められていました。えっ、伝説なの?と私。
そして安部公房が言うには、口頭試験において教授は安部がほとんど答えられないので、なんとか通してやろうとだんだんやさしい問題になる。最後に人間の妊娠月数をいってみろといわれたので、二年ですと答えたと。そして卒業したらどうするのかを聞かれ、作家になりますと答えると、繰り返しただされた後、それなら通してやろうといったと。
この伝説を、安部公房が「正確に伝えるから、と私という後輩に丁寧に説明した話だから」ほぼ本当だと思う、と養老氏は書いています。でも氏は「本人と私の記憶違いが当然入っているからはずだから、まったく事実とはいわない」と慎重です。

まずこの話のおかしいのは、落第した年の話と卒業の年の話がひとつにまとめられていることです。「二年と答えて落第した」伝説のはずです。そして「消しゴムで書く」という姿勢で自分の生活などは語らない主義の安部公房が後輩の養老氏を選んでわざわざ「正確に伝えるから」というのは、そこに安部公房の仕掛けを見ることができるのではないでしょうか。そして陰でほくそ笑んでいるかもしれません。この安部公房のユーモアについては、安部の親しい友人である辻井喬氏がこの話について尋ねたところ「まあね、似たようなことはあったよ」と実におもしろそうな顔で言ったと伝えています。(「へるめす」1993/11)


博識をもって鳴る安部公房があなたに「妊娠期間を二年といった」と言えば、あなたはすぐ信じますか?えっ、うそでしょう、というのが普通の反応だと思います。まして安部公房は医者の息子です。そして卒業の前年には学生結婚をしているのです。妊娠期間として俗に言い習わされている「十月十日(とつきとおか)」という言葉も知らないはずはないと思うのです。それを養老氏の伝えるような完璧なストーリーに仕立て、伝説を否定するどころかむしろ補強しているではありませんか。そしてWikiにはそれが事実として引用されてしまいました。
それにしてもWikiの引用者は、養老氏がくり返し「伝説」という言葉を使い「まったく事実とはいわない」としているのに事実として引用しているのはどうなんでしょうか。

さてこの話についての大江健三郎氏の伝えるところは次のような内容です。(朝日新聞2008/5/20「定義集」による。養老氏の本のほぼ1年後です。大江氏はこの本を読んでいたかも知れません)

「お付き合いの初め、安部さんから――君は象の妊娠期間を知らないだろう、といわれました。ジェラルド・ダレルの動物採集記を集めるなどしていた私は、18~22ヵ月、ふつうは19ヵ月、と答えました。画家だった真知夫人が脇から――安部はそれが分からなくて東大の追試に落ちたのよ、と言われました。」
さらに氏は東大医学部卒業アルバムに関する本に出会い、長谷川敏雄教授について「安部氏が医師としてでなく作家として生きていくと約束したので、やっと卒業が許された。この天才の卒業を1年遅らせた、と後に長谷川教授は陳謝された」とあることをも記しています。(大江氏は安部公房と1958年までには会っています)

このようなことを総合的に考慮してウィキペディアの記述を次のように編集することにしました。
[編集前]  (長谷川敏雄教授による卒業口答試験では人間の妊娠月数を二年です、と答えるなどひどいものだったが、結局医者にならないことを条件に卒業単位を与えられた。)

[編集後] (長谷川敏雄教授による前年の卒業口答試験では人間の妊娠月数を二年です、と答えたということが伝えられているが、大江健三郎によれば安部公房本人は象の妊娠期間19ヵ月を答えられなくて落ちたと言っていたという。結局その翌年医者にならないことを条件に卒業単位を与えられた。)

それにしても今回調べてみて、あちこちのブログにこの修正前の記事がそのまま引用されていることを知りました。引用する際にせめて表示されている資料原典にあたってみることはできなかったのでしょうか。

[OKADA HIROSHI]

3 件のコメント:

  1. 大半の人がWikipediaを信用しているのでしょうね。以前、間違ったWikipediaの記事を引用したレポートを複数の学生がそのまま提出してしまったというニュースを聞いたことがあります。

    信用のある記事も沢山あるのですが、人物については、口伝等あるので相当慎重にならなければいけないですね。でも、今回はOKADAさんが編集してくれて良かったです。

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  2. 律儀にWikiに寄付をされているアレンさんが、Wikiの記述を全面的には信用せず限定的にかつ頻繁に活用されているのは、まさに模範的な利用者ですね。

    アレンさんに後押しされて、遅くはなりましたが調べ直して編集することができました。ありがとうございます。

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  3. アレンさんも寄付をなさっているのですね。わたしも一度だけですが、寄付致しました。やはり、頻繁に使うので、お礼をしたいと思いました。

    OKDAさんの訂正によって、何か筋道が明瞭になった気がします。有名な人に伝説はつきものですが、やはり事実に就くということが一番大事なことだと思います。ウィキペディアの訂正、感謝です。

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